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茨城県石岡市より
産出される御影石
当社の採掘場は全長50m、高さ35m、
約100万m³の国内屈指の埋蔵量を誇ります。
Concept

やさとみかげは茨城の加波山より産出される美しく丈夫な御影石石材です

やさとみかげは、茨城県の加波山より産出される御影石です。全長50m、高さ35mの採掘場は、約100万㎥の国内屈指の埋蔵量を誇ります。石の産地としては、石器時代にまで遡ります。付近で発見された、石斧、石刃、石棺などの遺跡に、やさとみかげが利用されていました。やがて、信仰の対象物にも使われるようになり、鎌倉時代から室町・戦国時代にかけては、石碑、五輪塔などが作られました。また、江戸時代に入ると、城郭、仏閣、神社、墓石、工芸品などにも用いられるようになります。現在では、墓石、外柵材、建築用大材などにも幅広く使われるようになりました。加波山には700以上もの礼拝地が存在し、その一角で採掘されるやさとみかげは、神が宿る神聖な石とも言われています。上品な色合いと耐久性、加工のしやすさが特長の石材です。

Special

常陸の銘石やさとみかげは明治期に数多くの近代建築に使用されました

常陸の銘石やさとみかげをご存知ですか。茨城県では、加波山を中心に、数多くの御影石が、古くから盛んに採掘されてきました。石岡市、桜川市、笠間市周辺では、良質な石が豊富に産出することから、香川県、愛知県に並ぶ、石の国内三大産地と言われています。鎌倉初期から、この地では、職人たちの手によって、石碑、五輪塔、灯篭、石仏、墓石、石工芸品などが作られてきました。現在では、外柵材や建築用大材、モニュメントなどにも使われるようになり、6m以上もの石柱の材料となったこともございます。明治期には、東京において、近代化都市計画を進めるために、加工用の良質な石材が求められました。関東周辺になかったため政府が調査を行った結果、真壁石、稲田石、やさとみかげ、羽黒青糠目石などが発見されました。真壁石を代表格にたちまち普及し、数多くの建築物に使われたのです。

お気軽にお電話でご連絡ください

0299-43-2150

0299-43-2150

9:00~18:00

茨城県石岡市大塚1942-1

Q&A

やさとみかげに関するわからないことを詳しくわかりやすくご説明いたします

  • 茨城県以外への対応は可能ですか?

    はい。可能です 気になる方は直接お問い合わせください。

  • 個人での注文は可能ですか?

    はい。問題ありません。お気軽にご相談ください。

  • 石の注文と施工までお願いしたいのですが可能ですか?

    はい。殆どのエリアで施工まで承ることが可能です 一度直接お問い合わせ下さい。

Access

加波山の東側の麓に会社事務所はございますのでお車にてお越しください

やさとみかげの採掘場は加波山の東側にございます。全長50m、高さ35mの採掘場は約100万㎥の埋蔵量があり、国内屈指の規模であると言われています。加波山の東側の麓に会社事務所はございますのでお車にてお越しください。
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株式会社石原石材
住所 茨城県石岡市大塚1942-1
電話番号 0299-43-2150
営業時間 9:00~18:00
定休日 日,祝

加波山の麓に事務所はあり近くに公共交通機関はございませんのでお車にてお越しください。

やさとみかげには、様々な特長がございます。第一に、上品な色合いを持つ石材です。淡い青みを帯びた上品な色合いと、その中に点在する石英の薄灰色が見事にコラボレーションし、独特の風合いを見せます。第二に、耐久性です。ツヤ持ちし、サビが出にくく、風化されにくい性質を持っています。日本の風土に適しており、数百年にわたって潮風にさらされても、建立当時の形を現在にまで残している墓石や石碑が、強い耐久性の証です。第三に、加工のしやすさです。耐久性を保ちながら加工しやすいという、絶妙な硬度のバランスがあります。茨城では、鎌倉時代から、墓石のみならず、灯篭、石仏、石工芸品などに使われてきた石材です。現在では、様々なモニュメントの材料となっております。茨城の事務所へお越しの際は、最寄りの公共交通機関はございませんので、お車をご利用ください。
About us

やさとみかげは山岳信仰の地である加波山から産出され神が宿る神聖な石とも言われます

約100万㎥の国内屈指の埋蔵量を誇る御影石が眠っています

風光明媚な加波山の東側、標高500m以上のところに、銘石やさとみかげの採掘場がございます。ビルのようにそそり立った岩盤が目立つ、全長50m、高さ35mの茨城の採掘場には、約100万㎥の国内屈指の埋蔵量を誇る御影石が眠っています。採掘技法は、長い年月をかけて進化を遂げてきました。大正から昭和にかけては、発破と呼ばれる火薬を用いた技法を用いていました。その後、主流となったのは、ジェットバーナーを使い火力によって岩石を切断する技法でした。どちらの技法も、騒音や粉塵といった環境問題の原因となります。また、ジェットバーナーを用いると、どうしても熱による石材切断面のロスが発生してしまいました。現在では、これらの問題を払拭したワイヤーソーと呼ばれる最新の機械によって、環境問題と生産性の問題を解決しています。採掘技法の進化によって、銘石の安定供給が可能となりました。ちなみに、ジェットバーナーの1日あたりの切断能力は3㎥でしたが、ワイヤーソーでは、同じ3㎥をわずか1時間で切り出してしまいます。茨城で石材会社として営業しておりますので、いつでもご相談ください。

固く丈夫で美しくなおかつ良質な石材はたちまち広まりました

明治時代となり、ドイツ、イギリス、フランスからの知識や技術を取り入れて、東京では近代建築が次々と建築されるようになりました。そのため、良質な石材が必要でしたが当時の関東周辺にはなく、政府は調査を行いました。その結果見つかったのが、茨城県西部周辺で産出される、真壁石、稲田石、やさとみかげ、羽黒青糠目石です。真壁石を代表格として、固く丈夫で美しく、なおかつ良質な石材はたちまち広まり、迎賓館、日本銀行、東京商工会議所、司法省など多くの建物に使用されました。このことをきっかけとして、花崗岩の採掘に力が入れられるようになり、首都圏へ石を運ぶ手段として鉄道が開通されるほどでした。やさとみかげは、日本を代表するブランド銘石として、日本の近代建築を支えてきた歴史を持っています。さらに時間を遡ると、鎌倉時代から、職人たちの手によって、灯篭、石仏、墓石、石工芸品などが作られてきました。数百年前に、海岸沿いに建立された墓石や石碑は、潮風に吹かれながら現在に至っても健在であり、やさとみかげの耐久性を示しております。